【八幡宮宝物】

 小鯖八幡宮の拝殿には、三十六歌仙の秀歌の額が掛けられています。
 それらは安政年間に奉納されたもので少し色あせてはおりますが、百人一首の読み札のように和歌と歌人が色彩豊かに描かれています。
 三十六歌仙は、平安時代の歌人藤原公任が万葉集(日本に現存する最古の歌集)から拾遺集(古今集・後撰集に次ぐ第三番目の勅撰和歌集)頃までの三十六人の秀歌を選んだ歌人の総称で「三十六人撰」に由来します。拝殿の正面の左右には小野小町・柿本人麿の歌が、左右に十二人、後ろに十人の歌の額が掛けられています。その中には、紀貫之・在原業平・僧正遍昭など百人一首でおなじみの歌人や百人一首の中の歌もあります。
 また、楼門にも三十六歌仙の歌(大内義隆家臣、伝相良遠江守武任筆)が掛けられています。
 現在、三十六歌仙の歌は、保存状態を維持するために額にはガラスが入れられています。
 参拝された際、関心のある方は拝殿の中に入ってご覧ください。

 

額に納められている歌人の歌

 

  

○小野小町
わびぬれば身をうき草の根とたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ
(古今集九三八)
「解釈」侘び暮らしをしていたので、わが身を憂しと思っていたところです。浮き草の根が切れて水に流れ去るように私も誘ってくれる人があるなら、一緒に都を出て行こうと思います。

○任生忠見
やかずともくさはもえなむかすがのはただ春の日にまかせたらなむ
(新古今集七八)
「解釈」野焼きをせずとも、草は萌えるだろう。春日野をただ春の日の光に任せてほしい。(若草萌える春の野を焼かないでほしいとの心を詠んだ。)

○猿丸太夫
をちこちのつきもしらぬ山中におぼつかなくもよぶこどりかな
「解釈」あちらへ行くとどうこちらはどうと案内もわからないやまの中でたよりげな声で(人を)呼ぶ喚子鳥よ。

○寂蓮法師
むら雨の霧もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ
「解釈」はげしく通りすぎていったにわか雨、その雨のしずくもまだ乾ききっていないまきの葉のあたりに早くも谷のほうから霧が立ちのぼってくる。ああ、ものさびしい秋の夕暮れ。

○紀貫之
桜ちるこのした風は寒からでそらにしられぬ雪ぞふりける
(拾遺集六四)
「解釈」桜の花の散るこの木の下は寒くはないのだが、(天空が承知して降らせているのではないが)雪が降っている。

 

八幡縁起(上下巻)
 八幡宮縁起は、宇佐八幡宮縁起上下二軸をいいます。
 室町時代の製作とみられ、絵と詞書きからなる立派なものです。大内義隆の臣で能書きの聞こえ高かった相良遠江守武任の寄進したものと伝えられ、元文5年(1704年)3月に表紙裏打ちの修理がなされています。

  

 

 

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