【御祭神】

主神 八幡大神 応神天皇
仲哀天皇
神功天皇
合祀神 仁徳天皇

応神天皇の御子

若宮

天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

妙見様ともいう

造化の主神

大歳神(おおとしのかみ) 穀物を司る神
高龗神(たかおかみのかみ) 雨を司る神
天水分神(あめのみくまりのかみ) 水の分配を司る神
国分水神(くにのみくまりのかみ)
肆長津彦神(しなつひこのかみ) 風を司る男女の神
肆長戸辺神(しなつとべのかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと) 天照大神の御弟

※合祀は明治42,43年にかけて行われました。いずれも農耕殖産にかかわりのある神様です。

 

【御由緒】

○ 創立年月

当社は平安中期(寛弘長和の頃)に宇佐八幡宮から御勧請されました。従って、寛弘元年(西暦1004年)を創立年と定め、式年祭を斎行しています。そのため、現在では1000年以上を経たことになります。

○ 宇佐へ八幡さまをお迎えに行った三家

 当社の伝承によりますと、刈屋篤氏(矢ヶ内)伊藤保氏(河原)原田正輝氏(相刈)の三家の先祖が宇佐へ神様をお迎えに行かれたということです。中でも刈屋家は本社建立まで神様をその地の仮屋におまつりしていたことから「刈屋」という姓になったということです。そのため現在でも御神幸の時にはこの刈屋家が御幣奉持をつとめておられます。

○ 創立当時の氏子と其の後の変遷

 小鯖八幡宮は直接に宇佐からの御勧請した由緒ある神社です。当時の氏子は小鯖村をはじめ沖目の諸村(小俣,大道,岩渕,旦,下津令,上熊)の七村にまたがっていました。そのため当社はこの地方の大社でした。樋ノ口という地名は、祭礼時に市が立ち参詣人のもつ提灯の火が樋ノ口から八幡宮まで続くので、灯の口(樋ノ口)と呼ばれるようになったと伝えられています。

 ところが鎮座後約190年後正治元年(1199年)に小鯖の氏子と小俣の氏子が論争を起こしました。御符奉持役の小俣の氏子は、祭礼の御符(おふだ)を八幡宮におかえしせずそのまま御神体として奉斎し、新に小俣八幡宮を創立しました。そこで小俣八幡宮は小鯖八幡宮末社となり今日に至っております。

 小鯖八幡宮の位置が小鯖地区全体から見て中央になく南東に辺在しているのは、大道地区を含む七村の中央ということであったためと思われます。なお、当時このあたりは、早くから開けた文化の中心地であったようです。

○ 大内氏・毛利氏の崇敬

 大内・毛利両時代を通じ藩主の崇敬篤く、社領証判も現存し、社領を有し、維新まで御除高2石を充てられていました。

 

【御神徳】

 八幡様は、田畑や人々の暮らしを守る神様として多くの人々から信仰されておられました。のち応神天皇として現世に現れ給うてより御在位41年の間に、国富み兵強く、大陸方面から学術技芸などを積極的に取り入れられました。そうして文化の促進向上発展につくされ、日本の国力を大変に宣揚されました。こうし た御神威は崩御されて後もかがやいて、「武神」「工芸神」として仰がれました。そしてなお「八幡大神としてこの世をお護りくださる神様」と多くの人々から崇敬され、御神徳はいよいよ益々輝きました。

 神功皇后は仲哀天皇の皇后で、応神天皇の御母であります。仲哀天皇の崩御後、応神天皇を身篭られたまま、また御生後の幼い天皇をお助けして摂政となられ神託を受けられました。そして海外出兵をせられ、国内を治め、国威を高揚された神様です。

 こうした御祭神をおまつりする八幡様は、古い昔から皇室の崇敬が厚く、地域民衆からも「自分たちの住む地域をお守りくださる神様」とあがめられました。八幡様は氏神様として、今なお深く広く信仰されておられます。

 

 

トップページへ

inserted by FC2 system